美少女官能小説■site:TAMARL

Dawn of the Dead

 ヘッドホンからはSadeの甘い歌声。
 空には皓皓と照る満月。
 肌を撫でる季節を失った夜風。
 短くなっていく煙草。

 ――眼下にはゾンビ。

 冗談にもなりはしない。冗談ではないので見下ろさない。
 新宿の外れ。駐車専用ビルの屋上。機械室を改造した隠れ家。まあ少なくとも新宿最後の生き残りの僕。屋上の手すりに寄りかかって月を見上げる。
 新宿の夜空はすっかり星を取り戻していた。一年前に大接近した例の彗星を、首をぐるりと回してちょっと探してみる。もちろん見えない。どうでもいい。

 Sadeの歌声が微かなリフレインを残してふっと消える。手に持ったままのiPodがバッテリ切れのサイン。小さく舌打ちしてヘッドホンをはずす。

 眼下から聞こえる、新宿中に、いや世界中に響き渡る陰鬱とした呻き声。生前の記憶に従って、新宿駅を歌舞伎町を伊勢丹をヨドバシカメラをコマ劇場を目指す死者の列。のそのそと惨めに、そして永遠に歩き続ける死者死者死者。

 煙草をはじき飛ばす。火のついたままの煙草がちいさな光となって落ちていく。自然と視線が追いかける。黒々とした死者の群れに向かって落ちていく光。……一匹に当たって火がつく。暴れるゾンビ。次々に周囲の死者に火が回る。どんどん燃え広がっていく。新宿ごとゾンビが焼き払われていく……。いつもの白昼夢。地上にたどり着く前にとっくに消えた煙草。まだ追いかけている視線をむりやり戻し、隠れ家にもどっていく。

 コンビニの配送車があったので、何とかなっていた食料は残り少ない。非常用バッテリも心許ない。たぶん生きていられるのもあと数ヶ月といったところ。別に未練はない。ゾンビだらけになってしまった世界。死ぬのは簡単だ。いや、逆に難しいのか。まあどっちでもいい。面倒くさい。それだけだった。
 いつものバルビツール系錠剤、そしてフォア・ローゼス。習慣性のある睡眠剤と分かってるが他に無いから仕方ない。バッテリが弱いからiPodの充電に時間がかかる。いつもより多めに飲んでベッドに潜り込んだ――。

 なにか聞こえる。
 そこら中から。新宿中から。
 歌だった。歌声。
 僕は跳ね起きる。外に飛び出す。満月。二十四時間寝てしまったのか。走る。屋上の手すりにつっかるようにして下を見下ろす。

 死者の群れ。
 集まっている。しかし止まっている。そして、歌っていた。
 醜く膿み崩れた死者たち。じっと動かず、そして静かに歌っていた。
 この世にこんな美しい音が存在していたのか。そう思った。
 るああああああ。るうううううう。
 歌っている。集まって歌っている。

 集まった無数の死者達の中心に、少女は立っていた。

 白い服をまとった少女だった。

 距離はかなりある。表情など見えるはずもない。
 それでも少女だと、なぜか分かった。
 少女の回りには無数の死者の群れ。襲いかかるでもなく、ただじっと立って、ただ静かに歌っていた。

 そして歌声が、ふいに止まる。
 ほんとうに久しぶりの、静寂の世界。

 少女が僕をじっと見つめている。
 なぜかそれが分かった。

 行かなくてはならない。そう思った。地上には無数のゾンビ。でも、行かなくては。
 僕は階段を駈け降りる。一年ぶりにシャッターを引き上げる。外へ。もちろんそこら中にゾンビ。僕は気にならない。死者達も僕を無視している。いや、正確には違う。少女に向かって駆ける僕。ゾンビ達は道を空けていく。少女への道を。どうしてなのか。襲いかからないのか。僕は走る。少女の元へ。

 長い髪の少女だった。端整な顔立ち。何の表情も浮かんでいない。それがかえって神々しいほどの美貌を引き立たせている。

 じっと僕を見つめる少女。僕は、見つめ返すと言うより硬直して立ちつくしていた。

 そして、

 そして、僕は理解した。

 ――救世主。

 僕は自然にひざまづいていた。
 両手を拡げる。少女がゆっくり近寄ってくる。
 静かに抱き寄せられる。顔を上げる。少女がかすかにうつむく。

 そっと、

 そっと口づける。

 るああああああ。るうううううう。

 歌が始まる。もう一度。死者の歌声。それはたとえようもなく美しい歌声。
 もちろん僕は、何もかも理解していた。
 僕は、少女の肩をつかんで少しだけ身を離し、満月を見あげる。頭を傾けて、首筋をさしだす。
 少女は再び口づけるように、小さな口を、僕の首筋にそっと当てる。

 小さく並んだ歯が突き立てられるのが分かる。首の肉が食いちぎられるのが分かる。血が飛沫を上げて噴き出すのが分かる。
 それは、もう、たとえようもない快感。

 はじめて微笑みを見せる少女。なぜか口元には血が、まるで付いていなかった。

 るああああああ。るうううううう。

 歌声が高く大きくなる。全身の力が抜ける。仰向けに横たわる僕。アスファルトの冷たさが心地よい。視界いっぱいの満月。世界が光に包まれる。死者達も光に包まれる。

 ごうごうと、風が吹いてくるのが分かった――。


 目を覚ます。相変わらずの満月。痛む腰を押さえて起きあがる。手でさすってみると、首筋には傷一つ付いていなかった。
 誰もいない。あの無数の死者達。まるで初めからいなかったように。
 無人の新宿の街。アルタ前。何も、なかった。

「やっと目を覚ましたのね」

 振り返る。彼女が立っていた。
 僕の手を掴む。引っ張っていく。僕が居た、あのビルに。

「ええと、どうするの?」

 我ながら間の抜けた質問。

「ばかね」

 ちらりと僕をにらむ。ふう、小さくため息。そして、にっこり。それはもう満面の笑顔。どこにでもいた普通の女の子だった。

 新宿通りの東。光が差してきた。
 朝だ。

 彼女は僕に言った。

「きまってるでしょ。子供をつくるのよ」



Jun 05 2004